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diary

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おやすみ

わたしはマイノリティだから、体調が悪くなると、マジョリティが全員消えたらいいのに、って思ってた。‬
‪でも、アンチョビ君は、マイノリティと、マイノリティ側である自分を消そうとした。‬
‪ああそうだ、それが世界平和の答えだ、例えすぐにその平和が潰えて、新たなマイノリティが生まれても、少なくとも自分と同じ苦しみはこの世から消えるから、アンチョビ君、君は正しい。その覚悟と力を賞賛したい。‬
‪でも本当は、君のようなマイノリティの幸せを証明してほしいんだ。‬
わたしも幸せになれる希望を見せてほしいんだ。



蛇足(20240430)。
わたしには力も覚悟もない。
例え自分に力があったとして、それでも、誰かを消そうなんて思わないけれど、マイノリティという点においては、わたしは変わる気などない。

世界を変えようとしている人たちのそばにいても、ここはわたしの居場所ではないのだと思った。
みんな、手を繋ぐ誰かがいた。守るべき愛する人がいて、その人との幸せを守る為に戦っていた。
時間も、お金も、精神も。注ぎこめるだけ注ぎ込むように。

世界は変わらないのかも知れない。
他者を変えることが不可能ならば、世界を変えることはどうなのだろうか、どんな位置づけになるのだろうか、と考えながら、わたしは傍聴席に座って、口頭弁論を聞いていた。
何もかもを注ぎ込んで、時には、血の繋がった家族に罵倒されることがあっても、愛する人との未来と幸せと権利を守る為に戦う人たちは、とても素晴らしいと思う。

そして、わたしの孤独は酷く顕著なものになった。
わたしには戦う覚悟も、暴力ではない力も、手を繋ぎ共に戦う人もいないのだと、現実だけを知った。

それでも、人生を賭して戦う人たちを側で見た経験自体は、決して悪いものではないのでしょう。
わたしが生きている内に、世界が変わることを願うよ。ただ今のわたしは、これといった協力はもう出来ないけれど。
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きらいなもの。

‪わたしの世界が『きらい』に溢れ過ぎている。‬
‪みんなと仲良くしたい、楽しくお話したい。‬
‪大好きな友達がいる。‬
‪わたしが道を踏み外そうとする度に手を握ってくれる人がいる。‬
‪たぶん、わたしは、大切な人の死という、壊れる予定がもう一回あって、その日までのタイムリミットに、わたしはわたしを自分で引き上げるだけの何かを積み重ねていかなければと焦っている。‬
‪もうロープを結んだりしたくない、大容量の醤油を見詰めて1日を過ごしたくない。‬

20240429

自分の話。
『貴方は自分に厳し過ぎる』と言われたことが、結構自分の中でずっとダメージみたいで、『本当にわたしが自分に厳しかったら、こんな何もかもが中途半端なパラなのおかしいでしょう』と思うんだけど、わたしに言われたことは逆で。
『厳し過ぎるからうまくいっていない』『もっと、こんなものかな、と肩の力を抜いて好きなことをやった方がいい』みたいなことを言われて、まぁ、確かに、それは、そうかも、と。
わたしの世界は『きらい』で溢れていて、何が好きなのかなんて、よく分からなくなる。
今描いている二次創作は、ひたすら楽しくて描いているよね、と、自分の心の声に、もう少し耳を傾ける練習をしようと思う。
それから、今のわたしの人生を、自分の当然の権利だと思う練習も。

20240409

苦手な人を避けてたら、『××さんは優しい人だから仲良くしてあげて』『××さんが桜マカロンさんに嫌われてるって悩んでるの。××さんから相談を受けたの』ということを複数の人に執拗に言い迫られたことがあり、(必要なコミュニケーションは取ってるし、その上で苦手だから避けてるんだが……)とは口が裂けても言えず、その時点で心が壊れそうな程の恐怖を感じたにも関わらず、そのコミュニティから身を引く勇気を持てなかった過去の自分に、どんな言葉を掛けるのがいいんだろう、ってことも、長いこと考えていたことの一つ。

わたしはずっとその人が苦手だった。どうしようもなかった。全部全部苦手だった。言葉の一つ一つの言い回しが苦手だった。わたしの大好きなものを褒めるときの言葉が苦手だった。愚痴の内容がわたしの地雷だった。その人の好きなものが、わたしの大嫌いなものだった。
あげ出したらキリがなくて、好きなところが一つもなかった。でも、コミュニティに属する以上、必要なコミュニケーションは取っていたつもりだった。

わたしは、自分の好き嫌いにさえ自信が持てない。
コミュニティから抜ける勇気を持てなかった理由は、他にも明確にあるけど、上記も理由の一つだと思う。

少しずつでも自分の好き嫌いと、違和感を強く意識して生きていきていく必要がある。
特に好きだと思える人とだけ積極的に関わることをすることが、何よりもあの時の自分への答えのように思う。

それで孤独になるなら、それはわたしに必要な孤独かも知れない。もし耐えられなかったら、まあなんかその時は医療の力に頼る方法は知ってるので何とかなるでしょう。
努力する為には心身共に元気でいる必要があるけど、努力は心を元気にしてくれて、歪みを正しく導いてくれる時があると知った。
少し矛盾してる気もするけど、元気で健全に努力していたいと思った。
絶望や憎悪がわたしに絵や漫画を描かせるのは確かだけど、日常を蝕まれ過ぎてはいけない。
まだうまく言葉に出来ないし、受け売りみたいな部分もあるし。
雨の日は、雨音を聞きながら、こういう話をしたくなる。

思案の敗北

『思案の敗北』の全文を読んでみて、わたしに分かるところはあまりなかったのだけれど。

わたし、あれはあの空席の件だけ先に読んでいて、母のことを思い出して、涙が出ちゃったんだよね。

母の為に買った、ちょっと良い椅子。1日のほとんどを座ってて、散歩にも苦労して、ごはんはわたしが、お風呂は父が。

母も、その椅子も、もういないけど、空席だけがわたしの心の中にあり続けている気がする。

その後、母は入院した。
その頃にはわたしも病気で寝たきりみたいな状態で、自宅療養していたから、記憶が曖昧で、物騒な話、醤油の一気飲みのこととか考えていたよ。

それが何年前のことなのかも覚えてないし、家族に詳細を聞くか、役所で書類を確認するかでもしない限り、母がいつ亡くなったのかも分からない。

日付どころか、何年のことだったのかも、わたしは覚えていない。それくらい、そのときのわたしは病気で塞ぎ込んでいた。

1年か2年、わたしの時間は歪んでいた。

それでも、母が亡くなる前日に、息も絶え絶えに母がわたしの名前を呼んで謝り続けたこと。

翌日、亡くなった母が、綺麗な白い棺に入れられて安らかな顔をしていたこと。その時にわたしが最後に掛けた言葉、今も鮮明に覚えている。

(わたしが、二次元キャラクターが棺に入れられている表現がにがてなのは、母のことを思い出すから)

そのときにあった椅子が、少しボロボロで、少し凹んで、もう捨てられてしまって、家にはない筈なのに、わたしの心の中にだけまだある気がする。

この椅子をどうするのが良いのか、わたしには分からない。

もしもこれが恋人の椅子ならば、ない方がいいだろう。
けれどこの椅子は、お母さんの椅子だから、それとは話が違うような気がする。

でも思い出す度に涙が出るなら、健全じゃないんだろうか。

家族を失う悲しみをわたしは知っているけれど、機能不全家族のこの悲しみは、正しいのだろうか。

謝り続けたお母さんが、本当にわたしを愛してくれていたことだけは分かるよ。
『そんなことないよ』としか言えなかったけれど、『大好きだよ』『愛してるよ』と言えたら良かったのだろうか。


悲しい。