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diary

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無題

原稿してる時ツイートできることがなくなりそうな程度には不器用。
花と、食べた物や見た物の日常アカウントになってしまう。
漫画を読んでも感想に割けるリソースがない。

あと、先日の体調不良は自分でもパニックになってたなと反省しました。GWまるごと一週間以上続いてたので、このまま治んなかったらどうしよう、みたいなのが強過ぎました。
病気が複数ある以上、自分にとってもう万全とか、一番色んなことが出来ていたときを基準に考えるの、かなり危険なので、もう少しブレーキを覚えようとは思いました。
あと、ダイエット意識した食生活何年も続けてた所為か、食べると体調崩す食べ物がいくつかあることが発覚したので、食べられないものが増えました……家族が買ったり作ったりわたしに食べさせようとしてくるので、断るのが不便ですね……わたしも好きな物だけど食べられなくなってしまった物なので、頑張って食べるとまた寝込むので、次は医者に止められてるくらい言って断ろうと思います……。
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ライン

わたしプロフににがてなもの載せてるけど、あかんもの程、言語化できなくて載せれなかったり。
月並みだけど、どうしても越えられないライン、誰しもあって、それは誰かにとって想像にも及ばないことだと思う。
現にわたしのどうしても言えないにがてなものは、にがてじゃない人が多いように思う。
わたしはそういうとき、『わたし向きのコンテンツではない』と思います。
例えばそれが公式様からお出しされたものであった場合、自分の二次創作に反映しない判断(干渉しないような表現)をする時もあります。考えようによっては物凄く失礼なので、出来るだけそうならないようにはしてるし、そこ察せられないようにはしてるつもりだけど。
そこのラインで悩むことの方が増えたらジャンルを去る……自分は想定されたユーザーではなくなってしまったのだから……。

具体例だと、巻戻士の2曲目以降は好きになれなかったです。
特に2曲目。Neruさんとユリイ・カノンさんの名前を見た時『逆!!!!!!!』と思ったのを覚えています。
皮肉で孤独な言葉選びが得意なNeruさんと、醜ささえ美しく表現するユリイ・カノンさんなら、巻戻士とBCは逆の方が良かったと思っています。

『リトライもできない』『詩は終わらない』

ここの歌詞が巻戻士らしくないと思いました。
リトライ出来ない世界を見ていたクロノは、巻戻士になることでリトライ出来るようになり、それで妹を救うのであれば、『リトライできるかどうか』を論点に持ってくるのがちょっと理解できなかったです。
あと、『詩』この単語も巻戻士らしくない印象です。作中に出てこない単語を押し出されるのは、あんまりいい印象ではないです。
『詩』って、受け継いでいくもの、ってニュアンスを強く感じるので、巻戻士ってクロノ君の世代が頑張る話だから、余計に。

相手のいない勝負

気付いたんだけど、今のわたし、たぶん、アンチョビ君より好きな存在がいる。

ジャンル移動、ってことなのかなあ、広義に言えば。

おたくである自分に価値があると思ったことは一度もないけど、応援するのが楽しいのと同じくらい、楽しそうな人を見詰めているのは楽しいことなのだと知った。

そこに自分がいなかったり、同じジャンルの人がいない孤独はなんだかつらい。

別に誰も悪くないんだけど。

決まっている答えに対して、どうアプローチしていくのかをずっと考えている。

自分の武器の少なさに嘆いている暇があるなら、武器を作ればいいんだろうけど。

なんだってできるけど、何にもできない気もしている。

その度に体調崩して医者に警告受けて。

好きかどうか、やりたいかどうか、わたしはわたしの気持ちで動くといつも他人に迷惑を掛ける。そして、わたし自身が深く傷つくことになる。

壊す為に素直になりたい訳じゃない。

わたしの素直さは、いつも他者を傷付け、自分を傷付け、何もかもを破壊している気がする。

貴女が大好き!

貴女が大嫌い!

貴女のこういうところが大好き!

貴女のこういうところが大嫌い!

ただそれだけど。

みんなそんなことしないもんね。

わたしもきっと、そんなことをされるのは、よっぽど信頼関係の上にしか成立しない。

だから積み重ねたい信頼関係がある。

分かっている答え。

その為のアプローチを模索してる。

一人で泣きながら、または、友達に笑い飛ばしてもらいながら。

或いは医師や心理士になだめられながら。

どうでもいいけど。

本当にどうでもいいけど、次の抽選企画は本気を出すよ。

それで何も思い出せなかったら、ひとまず、わたしはここまでなのかも。


しごと

今月のノルマが、わたしがどうこうじゃなくて、チャンネルとしての目標値に対して、制作全体の間に合ってなさを感じるんだけど、わたしはそういうのを気にするのをやめるところから始めよう。
どこ行っても自分の仕事じゃないこと考えてる。
わたしは自分のノルマを淡々とやればいいよ。

『これわたしがこないだ描いたばっかのサムネですよね』って言ったら、『そうなんだよ更新カツカツで』って言われたけど、体調壊したくないから無理しません。

どうでもいいけど。
脚本をわたしが描いて、キャラの服をいつもよりおしゃれで可愛いものにしてください、って指示出したら、全然解釈違いの作画が上がってきた時があって、そりゃ任せた手前(具体的に指示することも出来たけど、作画する方の楽しみ奪うかなと思って任せた)、なんも言えんけど、それのサムネがわたしに回ってきてしまい、『この子にこの服は解釈違いなんだがなァ!!!』と誰にも言えずにサムネ描いた時はソウルジェムが濁ったかも知れない。

具合悪い日の日記

スパークに出たくて。

やっぱり本を出そうと思って、原稿を始めたところだったんです。

ただ、過去2回、体調を崩して本が出せなくて、欠席させていただいたことがありました。自分は、大病する前は、年に10冊とか出して、海外の方の同人誌の翻訳本を委託させていただいたり、グッズの委託をさせていただいたり、アンソロ主催や合同誌もよくやったしで、結構精力的にやっていたので、本の一冊も出せなかったことが2回も続いたのが、まあ、ショックで。

ここ最近は改めて健康に気をつけてるつもりでした。

イベント申し込みまでは5ヶ月くらいあるので、何とか思った形の本を出そうと頑張り始めた矢先の重めの体調不良で正直、その事実だけで元気をなくしました……。

PMSがメチャクチャ酷い時は過去にもあったけど、夏バテも相まってか、ここまで動けなかったのは本当に久し振りだったのでびっくりです。涼しい部屋で、今はちょっと良くはなりました。まだちょっと、ちょっと! 好きなものを好きだと歌えなさそうなくらいにしんどいのは確かなので死活問題ではあります。

体調が悪いときくらい早く寝たいけど、眠れなくて、もうとにかく碌なことを考えないことは自分でもよく分かっています。でもここはわたしのブログだから、TwitterもわたしのTwitterだし、自分を何とか引き上げようとしてるので好きにさせてほしい。

眠れないっていうのは案外とつらいのが最近分かってきて。

医者から薬の処方も受けているし、どうすればいいかのアドバイスも受けています。

でも結局、わたしの頑張りが足りないんだろうなと思います。

他を含めた頑張ろうと思う気持ちが全然足りてなくて、それらの巡り巡っての今。

眠れないのは子供の頃からそうでした。『眠い』という感覚が、あんまり分からない。

例えば、極限まで徹夜をしたり、仕事が忙しくて休憩もなしに慌ただしく動き回ったり、そのくらいしてみて初めて『眠い』が理解できます。

でも今は動き回るような仕事はしていないし、試しに個人的に走ってみたら、とんでもない疲労感だけ感じて、眠気は一向に来なかった。

流石にバグでは?

頑張りたくないって本当はずっと思ってるけど、健康でないと、健康とは別の大切なものを失い続けることはよく知っているつもりなので、せめて健康でいようと思います。

頑張りたくない反面、もう無理な頑張りもできないくらい、自分の病状の悪さや、年齢を重ねたことを感じます。

自分が何が好きなのか、本当はずっと分からない。

アンチョビ君には、わたしの代わりに幸せになってほしいから、幸せを願っています。

マジョリティを殺すでもなく、マイノリティを殺すでもなく、それでもマイノリティの彼が幸せになれる日が来ることの証左を、わたしに示してほしい。

わたしがどんなに頑張っても、実現できていないことを、ひと足先に叶えてほしい。わたしにも叶えられる希望を与えてほしい。

全部わたしの妄言で、幸せになりたいわたしは、今も出来る努力をしている最中です。でも前述の通り、もうあんまり無理が出来ない……。

頑張らなきゃいけないことが多過ぎる。

プリンセスタイプの機能不全家族で育って、20代前半まで自由があまりなかった(着る服や外出など)ことや、病気で2年棒に振ったことを思えば、わたしは随分人間らしく、必要な巻き返しができたとは思うけれど、足りなさばかり感じて、出来ないことばかり目について、知らないことの多さに苦しくなって、頑張れば頑張る程、足りない自分に涙が出ます。

足りなさを感じることは、自分で自分を孤独にします。

『生きていればそれでいい』って、それは両親にずっと思われ続けてたこと。
生きているだけで両親はわたしは愛してくれていたかも知れない。けれど、世の中はそうじゃない。
両親は、褒めることはなく、否定することだけはあった。わたしの努力は、大抵は否定的な言葉で返された。けれど、努力とは関係ない『甘え』に対しては、両親は大抵は応じてくれた。『欲しいお菓子がある』『欲しいおもちゃがある』。ついでに言うと、父は自営業者だったので、周囲の大人たちは、わたしのことを、『×××さんちのお嬢さん』とちやほやして、何かと面倒を見てくれたり、おもちゃやお菓子をくれていた。
わたしの価値観は、そこで大きく歪み過ぎた気がする。

『生きていればきっと』わたしだって、不特定の他人に対して、そんな風に思ったりすることもある。そんな希望めいた言葉を。実際、わたしにもいいことはいっぱいありました。でも。

わたしの家は、わたしのお兄ちゃんが死んでいるから、子供に先立たれることが、両親にとって何よりつらいことだったのは分かります。

でもわたしは、生きていること以外を両親に褒められた記憶がない。

それはもう諦めろとも医者に言われてはいるし、わたしも納得しているつもりだけど、わたしの本名が、兄が死んでから何年後にわたしが産まれたのかを示す漢字の組み合わせで、わたしは本当は自分の名前を変えたい。でもそれは書類上すごく難しいことだし、家族がどれ程思い悩んで付けた名前なのか何度も聞かされていて、何より、高齢の家族の心の負担を思うととても出来ない。

兄に対する強過ぎるコンプレックス。

これも、わたしがアンチョビ君を好きな理由の一つだと思います。形は違えど。

機能不全家族のより良い答えとは、『相手の幸せを願うことは出来るけれど、一緒にいることは出来ない』であると考えます。もちろん、どんなタイプの機能不全家族なのかにもよると思いますが。

少なくともわたしがアンチョビ君にそれを望むのは、わたしがその答えを出したいにも関わらず、もうその答えを出すことができないから。兄はわたしが生まれる前に死んでしまっている。

わたしは酷く孤独でもあるから、今一緒に暮らしている高齢の家族とも離れることは困難です。買い物などで助けてもらったり、連れ出してもらったりすることも多いです。

でも消えないんですよ。子供の時に欲しかったものが手に入らなかったことは。わがままだと言われてもいい。

これを書いてたら眠くなって、全部どうでも良くなるかななんて思ったけど、全然そんなことなくて、わたしは悲しい気持ちだし、頭は痛いし、胸は苦しいのに、全然眠くなくて。

こんな時に無我夢中に、向かえる何かがあればいいのかな。

絵や漫画のこと、もっと好きなわたしでありたかった。わたしは情熱も足りない。

わたしはわたしの苦しみしか見てない。

医者は、わたしに、あまり極端なことはせず、あまり深く考えずに穏やかに生きましょうと、そんな方針なんだよね……。

それも一つだと思うんだけど……。

今はなんとかスパークで本が出せるように動いていきたいと思います。

でもこれも突き詰めると、本当に好きなのかどうかとか、分からなくなるから、あまり考えないようにしてるんですよね。