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- Date:2025年01月24日
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ただ、わたしの中で答えが出てしまった。
色々漫画を描いて、でもまだ答えが出なくて、まだ描きたい、描ききってないと思ってた、わたしから見たアンチョビ君の。
彼は完全に架空の存在だった。わたしの夢であり希望だった。
わたしが死ねばよかったんだと、教えてくれた存在だった。
わたしが死ねばよかったんだと知ったとき、わたしは安心した。解放された気持ちになった。緊張が解けた気がした。
死ぬ気なんて、さらさらないけど、わたしが死ねば解決するこの世界で、それでも生きていくことの意味を考えた。
そして、彼に生きて、幸せになってほしいと思った。
同時に、わたしが死ななくても良いことを証明してほしかった。アンチョビ君は、わたしの希望だった。
(現実から目を逸らしたのかも知れない)
アンチョビ君に夢を見ていた。
わたしが死ななくてもいい世界を夢見ていた。
(何年経っても変わらない世界。
口頭弁論を聞きに裁判所へ、報告会へ、勉強会へ、交流会へ、足を運ばなくなって久しい。何の、何が、とは言わないけれど、世界は変わらず、差別に溢れている。)
アンチョビ君を愛している間、わたしは苦しみを抱え続けていた。世界への憎しみでもあったのかも知れない。
その苦しみや憎しみと共に、アンチョビ君を愛していた。
アンチョビ君は、わたしの苦しみを、明確な形あるものにしてくれた。
アンチョビ君を見ていて、そして、現実の世界でも色んな変化や出会いや別れがあって、その中でわたしの、『わたしが死ねばよかったんだ』という感情は和らいでいった気がした。
『わたしが死ねばよかったんだ』
『生きて、幸せになって。わたしが死ななくても良いことを証明してほしい』
そんな身勝手で一方的な想いを、彼に寄せ続けていた。
そんなネガティブにも受け取れる想いがなくても生きていけるなら、わたしは少し成長したことになる筈なのに。
それどころか。
今まで使っていた杖を無くしたような、ずっと寄りかかっていた手すりを失ったような、そんな気持ちになった。
少なくともわたしにとって、
『わたしが死ねばよかったんだ』
この安堵の感情と、それによって現実を見ずに済むことは、良くも悪くも劇薬だったのだと思う。
(本当に限界だった10年以上前、紐に首を掛けたものの、足を離せなかったり、致死量の醤油に至っては、封を開けることさえ出来なかったので、わたしは本当に自死は選べない人間にも関わらず)
『死ななくてもいいことが分かった今、わたしはどこへ行けばいいのか?』
『この感情に誰が寄り添ってくれるのか?』
そんな風に自分勝手に迷子になりながら、自分の問題と、キャラクターへの感情を切り離せずにいる。それはまだしも、自分の感情に、キャラクターを使い捨てていないか? ということに、これまた頭を悩ませている。
アンチョビ君のことは大好きだよ。
どうかどうか、幸せになってほしい。
ただわたしの中で答えが出てしまった。
彼と出会った時の、『わたしが死ねばよかったんだ』という、わたしにとっての熱烈な感情。それはそれ自体が恋ですらあったかも知れない。
『わたしは死ななくていいんだ』という答えを、自分自身で見付けてしまった。
架空の存在だった彼が、間接的に、現実に近付いた気がした。
そうして、少しだけ現実に近付いた彼を、わたしはこれから、どんな形で描けるだろうか。
今は、心も身体も動かなくて、いずれにせよ何も出来なくて、考えることすら出来ないんだけど。
https://x.com/niwakasennpei01/status/1815216488972001696?s=46&t=Ar5GDsXYR2Si7wIuBsAUQw
このツイートの話。
自分で言いたくないけど、過去、仕事でうまくいかなかったの、結構これもあったなと思う。シフト制で引き継ぎの時、わたしがいつもやってる仕事量渡したらアホ程揉めた。
ただ、同じわたしでも『その程度なのか』と判断する上司と、『そんなにできるのか』と判断する上司は存在する。
自分の生い立ち的に、『その程度なのか』と言われることが極端に恐ろしいので、自分を卑下し続けることしか出来なかったんだと思う。
その原因である家族に、今もわたしの選択を全否定されることはあるし、そんなに言うなら責任取れよ、と思うけど、何というか、結構前から、家族は責任を取るつもりで否定も肯定も心配もしてくれているようなので、わたしももう何を言ったら良いか分からない。
家族は確かにわたしを愛してくれていると思うんだけど、家族はわたしに対して、失敗し続けていると思う。家族が思う程、わたしは倫理的ではない。
今よりもっと若い頃、わたしは家族に激昂したことが何度かあって、要旨としては、『自分が普通でないのは、貴方の教育が失敗したからだ』というものだった。
家族があまりにも『常識』や『普通』をわたしに語るので。
しかし、わたしが激昂する度に家族は丸くなった気がする。歳の所為も大きいと思うけど。
そうかと思えば。
わたしの人生に色々あって、『もっと普通の人間に生まれたかった』と大泣きした日、家族はわたしを抱き締めて、わたしのどこがどう普通なのか、どこもおかしくないのだということを語ってくれた。
わたしの欲しかった答えかどうかは別として、家族は確かにわたしを愛してくれているのだと思う。
わたしはあまり倫理的ではないと思う。
これも卑下に該当すると思うから、あまり口しないようにしているけれど。
そう考えていることが、事あるごとに酷くストレスになっている気がする。
どう倫理的でないのか、もちろん言うことは出来ないし、整合性の取れた嘘は、酷く頭の領域を奪うので、なんだか疲れているのかも知れない。
別にわたしのやっていることは、正しくはないが間違ってもないのに、こんなに自分を責めるのは、何なのか。
納得いってないだけなきもする。いつになったら納得できるのか。
今日も心はあまり動かなくて、絵や漫画は描けないし、苦しい日々が続いてること、ここに書き記しておく。
※
職場がなくなるけど、ブランク無しで次の仕事も決まった。
心配事なんて何もないんだけど。
今はわたしの心が動くものを、手探りでも探していくしかあるまい。
この記事、自分のお母さんのこと思い出して、泣いてしまう。
逆だけれど、わたしの父は、どちらかというとこういう側面のある人だと思った。
母の病気が悪化する一方だった時、父が医師に『先生、本当は他に治療法があって、でもそれが莫大な金が掛かるから提案しないだけなら、気にせず教えてください。妻の病気が治るなら、全て投げ合って、いくらでも払います』と言ったこと。
わたしは、そばで黙って聞いていた。
BJの世界みたいだと思ったけど、BJはいなかった。
医師の答えは『××さん(父の名前)、この世にはまだ原因の解明されていない病気がたくさんあるんです。奥様の症状もそうです。治療法が確立されている病気の方が少数だと思ってください』だった。
長い看病生活、父は毎日、母のそばにいた。
亡くなった後、仏壇の前を埋め尽くすほどの大量の花と、毎日早朝から何時間も仏壇前で線香を上げ続けたこと。
恋文ではないけれど、それらが何より父から母への思いを語っていたように思う。
今でも涙が出る。
母が亡くなったことにも、その後の父の姿にも。
わたしは今も自分のことでいっぱいいっぱいだと痛感する。
母が最後にわたしにくれた言葉をわたしは知っているけれど、父と母は、どんな話をしていたのだろうか。
それは聞いても良いんだろうか。
母が父をどう思っていたかは、ついぞわたしには分からなかったから。