[PR]
- Category:
- Date:2025年01月24日
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
この記事、自分のお母さんのこと思い出して、泣いてしまう。
逆だけれど、わたしの父は、どちらかというとこういう側面のある人だと思った。
母の病気が悪化する一方だった時、父が医師に『先生、本当は他に治療法があって、でもそれが莫大な金が掛かるから提案しないだけなら、気にせず教えてください。妻の病気が治るなら、全て投げ合って、いくらでも払います』と言ったこと。
わたしは、そばで黙って聞いていた。
BJの世界みたいだと思ったけど、BJはいなかった。
医師の答えは『××さん(父の名前)、この世にはまだ原因の解明されていない病気がたくさんあるんです。奥様の症状もそうです。治療法が確立されている病気の方が少数だと思ってください』だった。
長い看病生活、父は毎日、母のそばにいた。
亡くなった後、仏壇の前を埋め尽くすほどの大量の花と、毎日早朝から何時間も仏壇前で線香を上げ続けたこと。
恋文ではないけれど、それらが何より父から母への思いを語っていたように思う。
今でも涙が出る。
母が亡くなったことにも、その後の父の姿にも。
わたしは今も自分のことでいっぱいいっぱいだと痛感する。
母が最後にわたしにくれた言葉をわたしは知っているけれど、父と母は、どんな話をしていたのだろうか。
それは聞いても良いんだろうか。
母が父をどう思っていたかは、ついぞわたしには分からなかったから。
それから、何年もお世話になっている医師からは『貴方は随分落ち着いた』と言われることが増えた。
数年前では分からなかったり、できなかったことが、きっと今なら分かったことも、できることも増えた。
それは自分の努力や、医師や心理士の尽力があってのことだと思う。
その上で、ここ最近、薬で自分の落ち着きが格段に感じられるようなことがあった。
感情とはなんなのだろうか、と、ふと思ってしまった。
薬は今も大量に飲んでいる。
本当に何もできないくらい病状が重かった時、薬の効果を感じたことはなかった。ただ希死念慮の中にいた。
頓服を2本も3本も飲んだこともあったけれど、良くも悪くもなった記憶がない。
あの時はどうだったのだろうか。
わたしの体感としてないだけで、希死念慮の中で、薬による変化はあったのだろうかと、何故か考える。
それでもわたしを引き止めたのは、苦しみへの恐怖と、それから、父からの抱擁だったと思いたい。
落ち着いてる気持ちの今の自分自身に違和感があって、その反面、生活は安定してる。
相変わらずPMSは顕著なので、今はあまり絵や漫画を積極的に描けないけれど、全く描けない、というところまではいかなくなった。
薬を開発した人も、それを処方する医師も、すごいことだと思う反面、今のこの違和感がある程に落ち着いた自分が、薬の力を大幅に借りているかも知れないことに、何か不安になる。
薬を大量に飲んでいることにではなくて、自分が自分でいることの意味というか。
不便が減った生活は、本来快適な筈なのに、これも不幸の再演を望んでいるだけで、不便な自分を望んでるだけなんだろうか。
でもちょっと違う気がしてると、落ち着いた頭のわたしは思う。