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- Date:2025年01月24日
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それから、何年もお世話になっている医師からは『貴方は随分落ち着いた』と言われることが増えた。
数年前では分からなかったり、できなかったことが、きっと今なら分かったことも、できることも増えた。
それは自分の努力や、医師や心理士の尽力があってのことだと思う。
その上で、ここ最近、薬で自分の落ち着きが格段に感じられるようなことがあった。
感情とはなんなのだろうか、と、ふと思ってしまった。
薬は今も大量に飲んでいる。
本当に何もできないくらい病状が重かった時、薬の効果を感じたことはなかった。ただ希死念慮の中にいた。
頓服を2本も3本も飲んだこともあったけれど、良くも悪くもなった記憶がない。
あの時はどうだったのだろうか。
わたしの体感としてないだけで、希死念慮の中で、薬による変化はあったのだろうかと、何故か考える。
それでもわたしを引き止めたのは、苦しみへの恐怖と、それから、父からの抱擁だったと思いたい。
落ち着いてる気持ちの今の自分自身に違和感があって、その反面、生活は安定してる。
相変わらずPMSは顕著なので、今はあまり絵や漫画を積極的に描けないけれど、全く描けない、というところまではいかなくなった。
薬を開発した人も、それを処方する医師も、すごいことだと思う反面、今のこの違和感がある程に落ち着いた自分が、薬の力を大幅に借りているかも知れないことに、何か不安になる。
薬を大量に飲んでいることにではなくて、自分が自分でいることの意味というか。
不便が減った生活は、本来快適な筈なのに、これも不幸の再演を望んでいるだけで、不便な自分を望んでるだけなんだろうか。
でもちょっと違う気がしてると、落ち着いた頭のわたしは思う。