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diary

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思い出のお菓子

自分の話をするけど、わたし、お菓子屋さんの子供だったんですよ。

‪だから思い出のお菓子も、工場で作られてるような、そういうものになりそうなところなんですけれど、一番の思い出のお菓子はきっとマカロンなんです。

家の‪近所に、ホテルに卸してるような洋菓子の工場があって、たまに工場前で割れとかを売ってくれてたんです。で、母は珍しい物が好きな人だったから、わたしを連れてよく買いに行っていました。

‪それで母が、あんまり常連になるものだから、工場長さんが出てきて、『今、焼いたばかりです』って言って、焼きたての温かくて柔らかいマカロンの片割れをくれました。

あれがすごくすごく美味しかった。

本来の食べ方ではないのかも知れないけれど、とにかくすごく美味しかったし、工場長さんのご厚意も嬉しかった。お母さんとの思い出のお菓子だということもあります。

でも、あれを生涯でもう一度味わえることはないだろうとも思います。

パティシエさんが作った出来立てのマカロンなんて、なかなか食べられる物じゃない、というのも勿論あるけれど、母はもういないし、みたいなところかな。

お母さんの笑顔がそこにないのなら。

工場は今もあるけど、いつの間にか工場前での販売はやめちゃってました。

それ以外だと、子供の頃、セーラームーンが大好きで、ピンバッチのおまけが付いたお菓子を沢山開封させてもらってた気がします。記憶が曖昧なくらい小さな頃。

もちろん、父が、店頭に並べる用に仕入れた物だけれど、わたしが欲しがると、なんやかんや最後はわたしに与えてくれてた気がします。

ピンバッチは今も大量にわたしの引き出しに入っています。

思い出って、何かと場所を取るものですね。

だから少しずつ、自分が元気になれるように、形のある思い出の品を手放していってる最中だし、わたしにはその必要があると思うんですけれど、あのピンバッチは一生手放せない気がします。

両親がお店を辞める時、いつもお菓子が所狭しと並んでいた棚に、日に日にお菓子がなくなっていく。

子供心にショックだったのを覚えています。

何にショックを受けたのかは分からないけれど、わたしの機嫌を取ろうと、親の仕事仲間の人がくれたいちご味の飴は、申し訳ないけど全然おいしくなかったのを覚えています。

そういう経緯もあって、カシバトルを読んでいて、『お菓子を売れない大人たち』の描写が入ると、全然状況は違っても、わたしはなんだか悲しい気持ちになりますね。
からっぽの棚はかなしい。



蛇足。

『××(兄の名前)がいてくれたら、おれももう少し楽が出来たかも知れない』
大人たちの商売の話は、当時のわたしにはまだ難しくて、分からないことも多かった筈ですが、この言葉の意味はよく分かりました。
わたしには兄がいました。わたしが生まれる前に亡くなっていて、歳の差は13歳でした。もし生きていたら、両親が店を辞めた時点で、10代後半くらいだったことでしょう。
父はきっと、兄にあとを継いでほしかったのだと思いました。でも兄は亡くなってしまった。一人娘であるわたしは、まだ幼かったし、わたしはそのとき、自分が女子であることを初めて強く自覚した気がします。
兄が生きていたら、父は商売を辞める決断をしなかったでしょうか。
わたしの名前は、兄が亡くなったところから始まる由来の名前で、わたしは自分の本名が大嫌いです。
会ったこともない兄に、わたしは今も嫉妬している。
病気だった兄は、わたしのように好きにお菓子も食べられなかった子供だったろうに。
ぜんぶほしい。わたしはいつもそう思う。わたしはいつも欲張りです。

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補足

王国IFチョコ君についての補足。

※TLで見た人様のツイートや、人様の王国IFに影響を受けている場合があります。
※公式様が全てだと思っています。その上で、設定を改変した二次創作を楽しんでいます。



結論だけ言うと、『チャーリーとの交流があった鐘木チョコであるが、チャーリーに救われなかった世界線である』です。

とりあえずわたしの考え方。

描きたいものの為に必要な要素や動かせない部分
・鐘木チョコは甘軍所属である。
・ホワイ・Tは鐘木チョコに原作と同程度・同等の興味を持っている。
 →鐘木チョコは原作と同程度、チャーリーとの交流を経ている。

上記の為に動かすことが必要な要素
・チャーリーは鐘木チョコを救うことが間に合わなかった。
・チャーリーが組織を脱退する場面に鐘木チョコは居合わせなかった。

これらを満たしつつ、出来るだけ原作の設定を歪め過ぎない、変更点を最小限にする方法が、『鐘木チョコは最初から女の子である』でした。
不謹慎承知で、性差の話になりますが。
鐘木チョコの生い立ち的に、大人への不信感は強く、それが女の子だった場合、特に『男性の大人』への不信に強く繋がるように思っています。なので、チャーリーに心を開くのにも時間が必要であったし、チャーリーとしても『深く傷付いて強がっている女の子への適切な対応』として、対応を変えていたと思っています。
なので、チューイン軍曹をきっかけとした組織の真実を知る場面に鐘木チョコが立ち会うことはなく、チャーリーは別の形での組織脱退、または、『あの場面の鐘木チョコのポジションを、別の少年が担った』可能性が出てきます。
どちらかというと後者を想定しています。
そして、その時点において、鐘木チョコの心は癒えてはおらず、チャーリーに救われていない状態のまま組織に残留となります。
これは、『原作で組織に残された子供たち側に鐘木チョコが含まれた』形になります。

鐘木チョコが、チャーリーと志を共にしない場合、物語は鐘木チョコの為のものではなく、別の少年の為のものとなり、わたしはそこで、鐘木チョコを『救済される側』のキャラクターとして、救済に結び付く前の絶望的な場面を描きたいと思っているみたいです。

ざっくりとした設定
この女の子の鐘木チョコは、チャーリーのことは悪く思っていません。寧ろ、信じていいのかどうかで、ぐらついているくらいのところでした。なので、あと一歩だったんです。その一歩が、間に合いませんでした。
その為、組織には勿論、懐疑的ですが、入団直後からホワイ・Tに目を付けられていた為、恐怖により、どんどん反抗の意志を削がれていきます。
鐘木チョコは、チャーリーとの訓練時代、療養の一環として日記を付けさせられており、その日記を元に、チャーリーと過ごした毎日のことをホワイ・Tに話すよう強要されます。
『こんなことがあった』『こんな会話をした』程度のものではなく、日記の記述を元に、より正確に、その日の訓練メニューから、何時のどんなタイミングでどんなことを言われたのか、それに対しどう返したのか。記憶が曖昧で言い淀めば、『何故覚えていないのか?』という点を叱責され、それを逃れたくて嘘で言い逃れをしようにも、鐘木チョコは嘘が得意ではなく、ホワイ・Tも鐘木チョコの嘘をすぐに見抜きます。
また、チャーリーに対して反抗的だった鐘木チョコの言葉にも、内容によっては『何故チャーリーくんにそんなことを言ったのか?』と責められることもあり、結局のところ、鐘木チョコにとって、チャーリーの話をホワイ・Tに聞かれることは、どう転んでも地獄のようなことになります。
その為、鐘木チョコが、チャーリーと再会できたとしても、かつての『この人は信頼してもいいかも知れない』という感情は、黒く塗りつぶされ、更に悪化した状態での再開となると思います。


上記は全て、『その絶望を描きたいと思った』という超個人的な趣味による話です。

20240409

苦手な人を避けてたら、『××さんは優しい人だから仲良くしてあげて』『××さんが桜マカロンさんに嫌われてるって悩んでるの。××さんから相談を受けたの』ということを複数の人に執拗に言い迫られたことがあり、(必要なコミュニケーションは取ってるし、その上で苦手だから避けてるんだが……)とは口が裂けても言えず、その時点で心が壊れそうな程の恐怖を感じたにも関わらず、そのコミュニティから身を引く勇気を持てなかった過去の自分に、どんな言葉を掛けるのがいいんだろう、ってことも、長いこと考えていたことの一つ。

わたしはずっとその人が苦手だった。どうしようもなかった。全部全部苦手だった。言葉の一つ一つの言い回しが苦手だった。わたしの大好きなものを褒めるときの言葉が苦手だった。愚痴の内容がわたしの地雷だった。その人の好きなものが、わたしの大嫌いなものだった。
あげ出したらキリがなくて、好きなところが一つもなかった。でも、コミュニティに属する以上、必要なコミュニケーションは取っていたつもりだった。

わたしは、自分の好き嫌いにさえ自信が持てない。
コミュニティから抜ける勇気を持てなかった理由は、他にも明確にあるけど、上記も理由の一つだと思う。

少しずつでも自分の好き嫌いと、違和感を強く意識して生きていきていく必要がある。
特に好きだと思える人とだけ積極的に関わることをすることが、何よりもあの時の自分への答えのように思う。

それで孤独になるなら、それはわたしに必要な孤独かも知れない。もし耐えられなかったら、まあなんかその時は医療の力に頼る方法は知ってるので何とかなるでしょう。
努力する為には心身共に元気でいる必要があるけど、努力は心を元気にしてくれて、歪みを正しく導いてくれる時があると知った。
少し矛盾してる気もするけど、元気で健全に努力していたいと思った。
絶望や憎悪がわたしに絵や漫画を描かせるのは確かだけど、日常を蝕まれ過ぎてはいけない。
まだうまく言葉に出来ないし、受け売りみたいな部分もあるし。
雨の日は、雨音を聞きながら、こういう話をしたくなる。

20240408

通話で友達に、悩んでること相談した。
っていう記事を書こうとして、昨日は寝落ちて、記事も消えちゃってたので、これは書くなってことなのかも。
目標って、言葉にしたの方がいいの?しない方がいいの?
ケースバイケースだと思った。

相談するのに随分勇気が要った。
上手く話せなかったなとも思った。
でも最後まで聞いてくれた。
いい友達を持ったと思う。
感謝が絶えない。

わたしが目標のものになれるか。
なれなくても、それ以外のものはなれるかも知れない。
それにさえなれなくても、努力は無意味なものではなく、わたしの手に何らかは残るだろう。

言ってみれば、何のリスクもない勝負なのだ。
目標のものなれなかったの判断は、残念ながら自分ではなく他人によって下される。
その日が来るのかさえ分からないけど。

ぼんやりしていた毎日が、少し鮮明になった。
歌えなくても、できることがある。
こなごなな心は、大分、形を思い出したよ。
悪夢から、きっとわたしの目は覚めた。完全ではなくても。
頑張ってみるよ。

思案の敗北

『思案の敗北』の全文を読んでみて、わたしに分かるところはあまりなかったのだけれど。

わたし、あれはあの空席の件だけ先に読んでいて、母のことを思い出して、涙が出ちゃったんだよね。

母の為に買った、ちょっと良い椅子。1日のほとんどを座ってて、散歩にも苦労して、ごはんはわたしが、お風呂は父が。

母も、その椅子も、もういないけど、空席だけがわたしの心の中にあり続けている気がする。

その後、母は入院した。
その頃にはわたしも病気で寝たきりみたいな状態で、自宅療養していたから、記憶が曖昧で、物騒な話、醤油の一気飲みのこととか考えていたよ。

それが何年前のことなのかも覚えてないし、家族に詳細を聞くか、役所で書類を確認するかでもしない限り、母がいつ亡くなったのかも分からない。

日付どころか、何年のことだったのかも、わたしは覚えていない。それくらい、そのときのわたしは病気で塞ぎ込んでいた。

1年か2年、わたしの時間は歪んでいた。

それでも、母が亡くなる前日に、息も絶え絶えに母がわたしの名前を呼んで謝り続けたこと。

翌日、亡くなった母が、綺麗な白い棺に入れられて安らかな顔をしていたこと。その時にわたしが最後に掛けた言葉、今も鮮明に覚えている。

(わたしが、二次元キャラクターが棺に入れられている表現がにがてなのは、母のことを思い出すから)

そのときにあった椅子が、少しボロボロで、少し凹んで、もう捨てられてしまって、家にはない筈なのに、わたしの心の中にだけまだある気がする。

この椅子をどうするのが良いのか、わたしには分からない。

もしもこれが恋人の椅子ならば、ない方がいいだろう。
けれどこの椅子は、お母さんの椅子だから、それとは話が違うような気がする。

でも思い出す度に涙が出るなら、健全じゃないんだろうか。

家族を失う悲しみをわたしは知っているけれど、機能不全家族のこの悲しみは、正しいのだろうか。

謝り続けたお母さんが、本当にわたしを愛してくれていたことだけは分かるよ。
『そんなことないよ』としか言えなかったけれど、『大好きだよ』『愛してるよ』と言えたら良かったのだろうか。


悲しい。