[PR]
- Category:
- Date:2025年01月24日
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
需要があるのか、ないのか、そんなものは作品が発表されてから、いくらでも分かることで、そして、需要がなかったとしても、否定していい理由にもなりません。
否定的な言葉を唱えている方、それは、その作品から、『貴方は消費者として想定されていません』ということだと思っています。
ディズニー程の大きなコンテンツだからといって、この世の全ての人の需要にマッチすることは出来ません。
生み出される以上、その作品を作りたいと思った人がいる(または、需要があると思った人がいる、商業的にヒットすると思った人がいる)のでしょう。それを否定することは誰にも出来ません。
まして、人種を理由をキャスティングに異を唱えることには、違和感があります。
この話を綴りたいと思ったきっかけは、リトルマーメイド、白雪姫、美女と野獣もそうですけれど、今回は、パークにいるラプンツェルが白人ではないことに否定的な意見が集まってる……という話を見てのことです。
否定的な意見の方の主張を見てたら、『元作品に忠実な容姿にしてほしい』という意見が多そうだったけれど、そもそも『ディズニーのラプンツェルは、グリム童話のラプンツェルの内容に忠実ではない』んです。
もとは民話とはいえ、話を考えた人がいて、それを伝えた人がいて、それを書籍として纏めた人がいるグリム童話を元にして、必ずしも忠実ではない作品を描き、それが賞賛されることはいいのですが、そこからまた派生していく(組織としては同じでも)表現に対して、ここまで否定が集まる……なんか、目も当てられないなって思います……。
日本の劇団四季のリトルマーメイドを、わたしは、『わたし(日本人)向けだ』と思いました。それと同じで、他の国の方が演じられたリトルマーメイドを、主演と同じ国の方は『自分向けだ』と思うのではないかな?と思います。だから、パークのラプンツェルも同じで、嬉しい人も必ずいるのだと思います。
わたし、子供の頃は『ディズニーランドの白雪姫やシンデレラは何で日本人じゃないんだろう』と思っていました。
これは『日本人はお姫様になれないのかな』という疑問だったようにも思います。日本にも、かぐや姫のようなお姫様はいるけど、わたしは、和装のお姫様じゃなくて、洋装のお姫様に憧れていたので。
だから、その人種の為に作られた新しいプリンセスではなく、既存のプリンセスを、多種多様な人が演じる意味は、確かにあるのだと思っています。
少なくとも、幼い頃のわたしの疑問は解消しました。
それでも『原作に忠実に』という意見……だったら、アニメ映画で、アリエルは自殺して泡になって天に登った方がいいし、ラプンツェルも一人で出産して7年もの孤独な育児をした方が原作に忠実なのですが……という気持ちになってしまいます……。
別件! 別件と言われても! 原作のラプンツェルが好きなわたしからしたら、ディズニーアニメのラプンツェルは逸脱し過ぎなので、わたし向けではないし、わたしは見れないので見ないのです。だから、人種が違うことで納得がいかない人は、パークのそのラプンツェルに会いにいかなければ良いだけのことで、否定など言わなくていいのです……。そこで否定を唱えるのは、自分が『ディズニーのラプンツェル』というコンテンツの想定ユーザーから外されたことに怒ってるだけなように見えるのです……。
パークは、いつ、どのキャストさんがいるかは分からないので、『ラプンツェルに会いたいけど、このキャストさんがいい』とかは無理なんです。それは人種とか関係なく。
それでもこの話題は平行線なんだろうなあ、と思いながら、多様性の難しさを感じました。
それどころか、エゴサのみならず、ワードに引っ掛からない情報を探し出す必要もあると思います。
なので、ワードを記載しない、という検索避けは、公式様へ向けたものというよりは、他ファンへの配慮の意味合いが強いと思っています(他ファンは検索する・しないの自由があるので)。
なので、『公式様とファンの距離感』以上に、『ファン同士の距離感』の方がめちゃくちゃ難しくて重要だと思っていて、『大抵のファンアートを、公式様は、見た上でスルーすることができる。何故なら仕事だから』なんですよね。
相手も人間です。原作者様においては、性別や年齢が分かっている場合が多いです。もっと具体的に言うと、三十代や四十代の男性が、多少性的なファンアートや、暴力的なファンアートを見ても、想定の範囲内である場合がほとんどだと思います。身を置く分野としても、そういう描写への耐性が高い方が多いと思っています。
そういうファンアートが、一部のファンの間で需要と供給が回ってる分には、おいそれと触れないのが大抵なのではないかなあと思っています。公式様が目こぼししてくださる程度のゾーニングさえあれば。もちろん、ゾーニングの考え方は一人一人異なると思います。それを規制できるのは公式様だけで、ファンがファンに警告を出すことは出来ません。友人であれば話し合う余地はあるかも知れませんが、そうでなければ、親切ではなくお節介であるケースが殆どです。どうしても相容れないのであればブロックしましょう。
フォロバしてくれる企業様が、割といます。
『あれっ!? もしかしてわたし、非公開リストフォローされてる!?』と感じる場面があります。とてもTLを追い切れるフォロー数でないにも関わらず、ワードが入っていないツイートにいいねが来たり、RTをRTされたり。
リストの真相はさておき、いいねなど、わたしは嬉しいと思っています。少なくともその企業さんにとって、わたしは良いファンであれているような気がするから。
公式様にも、企業様にも、原作者様であっても、わたしは、自分のファンアートを見ていただく分には一向に構わないです。見る事を選択してくださった訳ですから。それで嫌な気持ちにさせてしまったら申し訳ないんだけれども、こちらとしてもその配慮としてのゾーニングを行なっているので、そこを飛び越えようとする公式様方を、いちファンが止めることなど出来ないと思っています。
また、それがファンアートだと分かる形を取っている以上、余程のことがない限り、警告などが入ることはないものと思っています。もちろん、そうならない為に、ファンアートだと分かりやすくする必要はあると思っています。
アウトというのは、基本的にコピー品・海賊版、または商用があからさまであるものへ出されるものだと思っています。
それはそれとして!!!
それは!!!それとして!!!
『公式様にど〜〜〜しても自分のファンアートを見られたくない』という方がいるのも分かります。
その気持ちは大切だし、その方の配慮の方法であったり、説明の難しい感情であったりすると思うので、思った通りにしてほしい。わたしがそのファンアートへアクセスしづらくて、断念しちゃうことはあると思うから、それはかなしいけれど。わたしはカービィなので、好きなキャラやカプのファンアートは全て楽しみたいのです。
逆に、わたしが『公式様に見られて大丈夫』という姿勢が強過ぎて、人様をびっくりさせてしまうことも、若しかしたらあるかも知れません。その時は本当にごめんけどリムミュートで対応してくださると幸いです。ブロックされちゃうと、わたしがその方のファンアートに辿り着けなくなっちゃってかなしい……、でも、ブロックされちゃうのもやむなしだと思っています。スタンスの違い……。
わたしが鍵アカを作らない理由ですが。
わたしが話し過ぎる方のコミュ障で、非常にネガティブだからです。
ゾーニングとして鍵垢を運営される方の気持ちはすごく分かるし、わたしも出来るならそういう分け方をしたい。
鍵アカという閉鎖的な場所になると、わたしの話し過ぎるコミュ障と、ネガティブ思考が発揮され、永遠に萌え語りとネガティブ思考のサンドイッチTLを形成してしまうのです。今のこの記事みたいな話をネガティブな切り口で大量にすることになると思います。その間に萌え語りが挟まります。どう考えてもあかんやろ。
そういうのは、自己肯定感の低さとか、承認欲求の強さからきているとも思っています。
そして、それらのことから、鍵アカに作品を上げる度に、自分の正気度ロールが発生します。その正気度ロールというのが、反応が貰えたかどうか、に掛かっていて、大抵、何が描きたいのか分からなくなります。
わたしはそれを防ぎたい。
作品以外は上げない、と決めることも、わたしにとっては現状、難しいです。
それから。
いくら鍵を掛けたところで、フォロワーさんは友達ではありません。交流を経て友達になることはあっても、それはごく一部です。友達との酒の席や、チラシの裏に留めておくべき話を、鍵アカに書きたくありません。それは作品への批評を超えた、一時の感情による否定などです。ファンの間での、ギャグで済まされるかも。でも、そのコントロールは、わたしにとって非常に難しいと思います。
最後に自分のスペックの話をするのですが。
わたしは、初めて同人誌を出した日から20年くらい経ちました。アンソロ主催や、プチオンリー主催、オフ会主催など、色々経験してきました。
現在は、どこかの動画チャンネルの絵コンテやサムネイルを描きながら、個人の方からのご依頼を受け、趣味でファンアートを描いています。
自分に自信が全くないので、子供が読者投稿欄にハガキを送るくらいの気持ちでファンアートを描いています。感想を公式様方に届けるのがメインであって、わたしのファンアートはおまけです。
自分の活動方法を全否定された記憶があるので、未だに傷が癒えずに、生来の性格も相まって、かなり色んなところで神経質になりがちです。
その上で、どうしても、届く形で応援したいと思って、感想を書いたりしています。
それでもやっぱりわたしはおしゃべりなので、人と交流したくて話し掛けてしまう……そこでまた悩むというループを定期的に繰り返していますが、やはり最優先は、好きな作品の応援です。
こんな奇怪な文章を最後までご覧いただいてる方は、多分、わたしくらいよっぽど奇怪な方だと思います。
わたしは誰とでも仲良くなれるような器用な人間ではないですし、難解な思想を持っている方だとは思いますが、もし、わたしの作品とか、普段のツイートで、『話し掛けたいけど話し掛けていいか分からない』と思われるようなことがあれば、わたしは常時、『話し掛けていただけると嬉しい』側の人間です。
出来る限り友好的にお返ししたいと思います。とはいえ、ご挨拶はほしいし、敬語でお話してほしい、名前も勝手にあだ名を付けず、さん付けで呼んでほしい。そこを守っていただけた時に、わたしはすごくおしゃべりな人になってしまい、それで驚かせてしまうことがあるみたいです……。逆に、初見呼びタメだと塩対応になって、それはそれで驚かせることもあるみたいです。
わたし自身は、話し掛けたいと思ったけど、ご迷惑かも知れない、と思って、全力でブレーキを掛けて話し掛けないことがかなり多いです。でも、わたしは人様より大分やかましいみたいなので、全力ブレーキが正解なのかも……と最近は思います。
長くなりましたが、ゾーニングの話と、それに関連するわたし側の事情の話でした。