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diary

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フォンドヴォーのどこが好きか

フォンドヴォーのことは相当好きです(第一声)。
ただ、結構マイナーな感じに好きな気持ちを抱えている、ということを先に申しておきたいのです。要は『細か過ぎて伝わらない萌え』。
フォンドヴォーのことが好きな人ほど、あまりおすすめの記事じゃないかも知れません!!! ほんと!!! 『コロッケ!』知ってるジャンル外の人に話したら割とガチめに笑われたので!!!

もう最初に、一番しびれたセリフを紹介しますね!

『アニキの言うことがきけないのか!!』

ブラレでのこの言葉。

つまりフォンドヴォーは!!!

弟が兄の言う事を聞くと思ってるタイプの奴なんですね!?!?

ということが明らかになったような気がして、めちゃくちゃ萌えました。
だって、『兄のカラスミが言えば弟のアンチョビは言う事を聞く』と思っていなかったら、あんな言葉は出ない筈じゃないですか……。
で、フォンドヴォーには、コロッケという弟がいる訳です……。
これ、ブラレ第三話で、バーグを殺すと言ったコロッケに対して、ブチ切れていたの、『バーグを殺そうとしているコロッケ』に100%でブチ切れているのだと思っていたんですけど、何割かは『アニキである自分の言う事を聞かないコロッケ』にブチ切れてた可能性がワンチャンかと思うと、すごいときめきます。

この、フォンドヴォーの自分勝手さにすごい萌えちゃって……!!!

あの発言だけは、どう足掻いても覆せない自分勝手さがあると思っています……!!!
確実にイケメンキャラなのに、時折、覗かせる、そういう、人としてちょっとアカン部分が堪らなく愛しいんですよ……。ぜ~~~んぶ、イケメンで何となく押し通せちゃってたのが、ちょっとずつ押し切れなくなってるようなところも……。

という、情けない優男が好きなんだけど、情けないだけじゃない優男が好きなところから、フォンドヴォーがどんどん、わたしのドンピシャに好きなキャラになっていってる、という話です。

とはいえ。
もちろん、フォンドヴォーの良さはそこだけではありません。
そもそもわたしは、リアタイでアニメと原作を見ていた頃も、とかく、フォンドヴォーが好きでした。
みんなの頼れるアニキ。
スマートな振る舞いのイケメン。
非の打ち所の無い男性。

若し言葉にするとしたらそういうものだと思います。
勿論、この時は『格好良い』という意味での好きでした。

なんですけど。

やっぱりどうして、大人になってから、改めて『コロッケ!』全巻を読んでみたところ、前述の部分以外でも、フォンドヴォーの情けなさの方に目がいきました。
まずバンカーサバイバルで、フォンドヴォーがコロッケを庇うところ。守れないんですよ彼は、万全の形で、コロッケを。
いや、分かるよ!! どうしようもなかったよね!! あの状況でああするしかないよね!! でも、どうしようもないのはわたしの心も同じで、ときめいてしまったんですよ……。これは投げ出すことを格好良いと思ったのではなく、ここぞという時に力及ばずだった彼の事実に対してです。
あの何でも出来そうなイケメンが、みんなの頼れるアニキみたいな様相の男が、『自分の力が及ばなかった』という理由で、己の命を盾にし、コロッケにトラウマを植え付けかねない方法でしかコロッケを守れなかったこと……。

最高に好きです。

わたしは大人になって、『命を賭けて大切な人を守る』という発想を『格好良い』とは思えなくなりました。二次元に対して夢がない、と思われるかも知れませんが、わたし自身は至って真剣です。
勿論、『大切な人だから命を賭けて守る』というのが『コロッケ!』の考え方であり、格好良さの話はしていないことは重々承知です。
とはいえ、あくまでわたしが子供の頃に感じた好きポイント『格好良さ』を軸にして話をします。
本当に格好良いのは『自分の命も最低限、保った上で、大切な人の命を守ること』なのだというのが、今のわたしの考えです。
本当に命を落とすに至る状況は、『託す』と言えば聞こえはいいけれど、コロッケのような小さな子に背負わせるのは、あまりに過酷です。コロッケが、それを受け取れる感性を持っていたから良かったけれども、そうじゃなかったら再起不能レベルだと思ってます。
そんな訳でわたしは、子供の頃に『格好良い』と思っていた筈の部分が、『情けない』と感じるようになったようなのですが、それで尚、フォンドヴォーのことが好きであることに変わりがない、寧ろ好きな気持ちが強くなっている……! という不思議な感じになっているのです。
それと勿論、『コロッケ!』の分かり易くて良いところ・安心して読めるところは、双方の考えが合致しており、託す・託される、部分が正常に機能しているところだとも思っています。

また、原作のフォンドヴォーの戦績の話です。

★VS 黒マントの男
 …コロッケを庇って負傷。バンカーサバイバル二回戦敗退。
★VS ドブロク
 …過去回想。バーグに助けてもらう。
☆VS フカヒレ
 …圧勝。四獣士加入。
★VS コロッケ
 …王誰大会で全力で戦って負け。
★裏バンカーサバイバル一階戦敗退
 …コロッケを庇って主催の手によって落下。
★VS ブーケガルニ
 …ヤキソバ・ルッコラと共闘するも、序盤はブーケガルニのあやつり人形にされる。

★VS ブリスケット
 …コロッケを庇って溶岩に落ちて死亡。
★VS シャトーブリアン
 …スピードに付いていけず攻撃され死亡。
★VS シャトーブリアン
 …『王家の烙印』で吸収される。

基本負けてるんですよね。
決して!!! 弱くは!!! ない筈なのに!!!
負けが多いだけじゃなく、なんとなく不運な役回りじゃない!?!? ブーケガルニ戦は、あの三人の中だったら、そりゃフォンドヴォー一択でしょうね……(あやつり人形とするには、ヤキソバは重過ぎる気がするし、ルッコラは小さ過ぎる気がする)。
子供の頃は、イケメンだけど懸命な姿を見せるところも含めて、とにかく格好良く見えていたので、負け越しているところは特に気にならなかったのだと思われます。
ちなみに、アニメだと、VSタンタンメン戦で勝っています。グランシェフ国王夫妻救出は、アニメで描写してくださって本当に嬉しかった回です。ヒー! 格好良い! あの回は何度見ても好き!
とはいえ、アニオリに基本フォンドヴォーは出てこない、というのもあり、それ以外の勝ち星もないんですよね……。

なんかそういうところも好きで。

何でも出来ちゃいそう! ここぞというところで出てくる!
と見せて、結構、不運だったり、勝てていないところ。……いや、フォンドヴォーはあの若さで既に次代に目が行って……ないですね、ぜんぜんないですね、不死身の力でシャトーブリアンに勝てちゃうかも! オレが王様! って考えてたシーンがあるし、全然、次代とかいう感じではなかったです。

もうそこも好きでさ~~~。

同世代のキャベツでさえ、自分の力及ばずであったり、王様の夢を手折る程に傷付いていたりして、最終的に、コロッケに道を譲るように自爆しています。
そこに、フォンドヴォーは、口を出すところは口を出して、守るには力及ばず、を繰り返している。
もうほんと、無性に好きです。
コロット、タロ、カラスミ、アンチョビ、と、強キャラが揃い踏みの中でも、中途半端に蚊帳の外なのが非常に良いです。
(ダイフクーが一歩退いた立場を取っているのは分かるんですよ。元より、あの子は、特に原作ではレギュラーではなかったし、印象としても、このメンバーと渡り合える強さではなかったように思います。それを本人も自覚してるし、立ち場としてもそういう素振りを見せている)

わたしほんと、こういう歪曲した好きを抱えがちなので、あんまり語りに向いてないような気もするんですけれど、この辺の話を、自分がこれまで描いてきた二次創作や、考えるだけ考えてる内容含めて、みっちり一時間くらい人様に聞いてもらったら、冒頭で言った通りガチ目に笑われた後、『記事にした方がいい!』と力強く言われたので、一度言葉にしてみた次第です。

最後に言うけど、フォンドヴォーは格好良いよ!!
もうこれは覆しようのない事実!!!
その上で、こういうど~~~しようもない萌え方をしているファンがいる、という話です。

ついでなんで、フォンドヴォー関連の4コマでも再掲しておきます(別名義のサインが入っています)。
※クリックで原寸表示。3枚あります。



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『推し活で無理しちゃよくないよ』的な言説について。

『推し活で無理しちゃよくないよ』的な言説について。
そういった話は、『飛び越えてはいけないラインを既に飛び越えてしまった人向け』であることと、『発信者様の周囲には、既に飛び越えてしまった人がいるのだろうな』ということを考えます。
具体的に言うと、病名が付くかどうかでしょうか(これもケースバイケースなのでしょうが…)。
『生活がやばい』とか、『先々のことを考えてない』とか、色々あると思うんですけど、結局のところ、『自分の意思でそうなっているのかどうか(病気に人生を支配されていないかどうか)』が重要だと思う反面、自分の意思かどうかの判断が出来ない人に病名が付くのであって……。
究極的には、倒れない程度に生活を切り詰めることも選択肢の一つだとは思う。
ただ、無理して1万円の課金をして、暫く何も出来ないより、余裕を持って1000円の課金を細く長く投げ続ける方がいいのかなとかも思う訳で。
数十万、数百万を短期間に出せる瞬間火力の高い人は、その限りではないけれど。

ネットの知り合いに対しては、何も出来ないのがほとんどなので、その結果として『推し活で無理しないで!!!』と遠回しに言うくらいしか出来ないという気持ちから生まれる言説なんじゃないかな……。
『そんなことしてたら倒れちゃうよ!』と心配な気持ちも、相手との距離感や関係性、性格によっては、ただのお節介です。ていうか、大抵の場合はそう。

それから。
体裁を保てているかどうかも重要で、我が身を顧みることもなく、異常なのめり込み方(収支バランスが大きく破綻したグッズ購入や、生活スペースに問題が出る程の過剰な収集癖など)を赤裸々に公開する(心配されたり、避けられたりすることが想定出来ない)ことも、一つのラインだとも思います。

……と、色々思ったことを綴ったけどね!
とにかく全てにおいてケースバイケースですからね!
壊れた物は基本的には戻らないし、粉々の心が、推し活で少しでも形を思い出したり、新しい形が見付かりそうだと言われると、ただただ心が痛むのです。
わたしにも心当たりはあるので。

わたしはどうやら行動力がある方らしい(自覚なし)ので、どちらの立場においても、気を付けていきたいところではあります。

既存のプリンセスの意味

ディズニーの、実写版リトルマーメイドや、実写版白雪姫、舞台版美女と野獣を、本来の劇中の人種とは別の人種の方が演じることについて、否定的な意見をおっしゃる方がいるのを見る度、わたしは心が痛みます。

需要があるのか、ないのか、そんなものは作品が発表されてから、いくらでも分かることで、そして、需要がなかったとしても、否定していい理由にもなりません。

否定的な言葉を唱えている方、それは、その作品から、『貴方は消費者として想定されていません』ということだと思っています。

ディズニー程の大きなコンテンツだからといって、この世の全ての人の需要にマッチすることは出来ません。

生み出される以上、その作品を作りたいと思った人がいる(または、需要があると思った人がいる、商業的にヒットすると思った人がいる)のでしょう。それを否定することは誰にも出来ません。

まして、人種を理由をキャスティングに異を唱えることには、違和感があります。

この話を綴りたいと思ったきっかけは、リトルマーメイド、白雪姫、美女と野獣もそうですけれど、今回は、パークにいるラプンツェルが白人ではないことに否定的な意見が集まってる……という話を見てのことです。

否定的な意見の方の主張を見てたら、『元作品に忠実な容姿にしてほしい』という意見が多そうだったけれど、そもそも『ディズニーのラプンツェルは、グリム童話のラプンツェルの内容に忠実ではない』んです。

もとは民話とはいえ、話を考えた人がいて、それを伝えた人がいて、それを書籍として纏めた人がいるグリム童話を元にして、必ずしも忠実ではない作品を描き、それが賞賛されることはいいのですが、そこからまた派生していく(組織としては同じでも)表現に対して、ここまで否定が集まる……なんか、目も当てられないなって思います……

日本の劇団四季のリトルマーメイドを、わたしは、『わたし(日本人)向けだ』と思いました。それと同じで、他の国の方が演じられたリトルマーメイドを、主演と同じ国の方は『自分向けだ』と思うのではないかな?と思います。だから、パークのラプンツェルも同じで、嬉しい人も必ずいるのだと思います。

わたし、子供の頃は『ディズニーランドの白雪姫やシンデレラは何で日本人じゃないんだろう』と思っていました。

これは『日本人はお姫様になれないのかな』という疑問だったようにも思います。日本にも、かぐや姫のようなお姫様はいるけど、わたしは、和装のお姫様じゃなくて、洋装のお姫様に憧れていたので。

だから、その人種の為に作られた新しいプリンセスではなく、既存のプリンセスを、多種多様な人が演じる意味は、確かにあるのだと思っています。

少なくとも、幼い頃のわたしの疑問は解消しました。

それでも『原作に忠実に』という意見……だったら、アニメ映画で、アリエルは自殺して泡になって天に登った方がいいし、ラプンツェルも一人で出産して7年もの孤独な育児をした方が原作に忠実なのですが……という気持ちになってしまいます……

別件! 別件と言われても! 原作のラプンツェルが好きなわたしからしたら、ディズニーアニメのラプンツェルは逸脱し過ぎなので、わたし向けではないし、わたしは見れないので見ないのです。だから、人種が違うことで納得がいかない人は、パークのそのラプンツェルに会いにいかなければ良いだけのことで、否定など言わなくていいのです……。そこで否定を唱えるのは、自分が『ディズニーのラプンツェル』というコンテンツの想定ユーザーから外されたことに怒ってるだけなように見えるのです……

パークは、いつ、どのキャストさんがいるかは分からないので、『ラプンツェルに会いたいけど、このキャストさんがいい』とかは無理なんです。それは人種とか関係なく。

それでもこの話題は平行線なんだろうなあ、と思いながら、多様性の難しさを感じました。


エゴサとゾーニングとわたし

どこの公式様も、エゴサ自体は確実にしてると思います。というか、エンターテイメントの分野において、エゴサしてない方がマーケティング不足なのでは…、と思います。

それどころか、エゴサのみならず、ワードに引っ掛からない情報を探し出す必要もあると思います。

なので、ワードを記載しない、という検索避けは、公式様へ向けたものというよりは、他ファンへの配慮の意味合いが強いと思っています(他ファンは検索する・しないの自由があるので)。

なので、『公式様とファンの距離感』以上に、『ファン同士の距離感』の方がめちゃくちゃ難しくて重要だと思っていて、『大抵のファンアートを、公式様は、見た上でスルーすることができる。何故なら仕事だから』なんですよね。

相手も人間です。原作者様においては、性別や年齢が分かっている場合が多いです。もっと具体的に言うと、三十代や四十代の男性が、多少性的なファンアートや、暴力的なファンアートを見ても、想定の範囲内である場合がほとんどだと思います。身を置く分野としても、そういう描写への耐性が高い方が多いと思っています。

そういうファンアートが、一部のファンの間で需要と供給が回ってる分には、おいそれと触れないのが大抵なのではないかなあと思っています。公式様が目こぼししてくださる程度のゾーニングさえあれば。もちろん、ゾーニングの考え方は一人一人異なると思います。それを規制できるのは公式様だけで、ファンがファンに警告を出すことは出来ません。友人であれば話し合う余地はあるかも知れませんが、そうでなければ、親切ではなくお節介であるケースが殆どです。どうしても相容れないのであればブロックしましょう。

フォロバしてくれる企業様が、割といます。

『あれっ!? もしかしてわたし、非公開リストフォローされてる!?』と感じる場面があります。とてもTLを追い切れるフォロー数でないにも関わらず、ワードが入っていないツイートにいいねが来たり、RTRTされたり。

リストの真相はさておき、いいねなど、わたしは嬉しいと思っています。少なくともその企業さんにとって、わたしは良いファンであれているような気がするから。

公式様にも、企業様にも、原作者様であっても、わたしは、自分のファンアートを見ていただく分には一向に構わないです。見る事を選択してくださった訳ですから。それで嫌な気持ちにさせてしまったら申し訳ないんだけれども、こちらとしてもその配慮としてのゾーニングを行なっているので、そこを飛び越えようとする公式様方を、いちファンが止めることなど出来ないと思っています。

また、それがファンアートだと分かる形を取っている以上、余程のことがない限り、警告などが入ることはないものと思っています。もちろん、そうならない為に、ファンアートだと分かりやすくする必要はあると思っています。

アウトというのは、基本的にコピー品・海賊版、または商用があからさまであるものへ出されるものだと思っています。

それはそれとして!!!

それは!!!それとして!!!

『公式様にど〜〜〜しても自分のファンアートを見られたくない』という方がいるのも分かります。

その気持ちは大切だし、その方の配慮の方法であったり、説明の難しい感情であったりすると思うので、思った通りにしてほしい。わたしがそのファンアートへアクセスしづらくて、断念しちゃうことはあると思うから、それはかなしいけれど。わたしはカービィなので、好きなキャラやカプのファンアートは全て楽しみたいのです。

逆に、わたしが『公式様に見られて大丈夫』という姿勢が強過ぎて、人様をびっくりさせてしまうことも、若しかしたらあるかも知れません。その時は本当にごめんけどリムミュートで対応してくださると幸いです。ブロックされちゃうと、わたしがその方のファンアートに辿り着けなくなっちゃってかなしい……、でも、ブロックされちゃうのもやむなしだと思っています。スタンスの違い……

わたしが鍵アカを作らない理由ですが。

わたしが話し過ぎる方のコミュ障で、非常にネガティブだからです。

ゾーニングとして鍵垢を運営される方の気持ちはすごく分かるし、わたしも出来るならそういう分け方をしたい。

鍵アカという閉鎖的な場所になると、わたしの話し過ぎるコミュ障と、ネガティブ思考が発揮され、永遠に萌え語りとネガティブ思考のサンドイッチTLを形成してしまうのです。今のこの記事みたいな話をネガティブな切り口で大量にすることになると思います。その間に萌え語りが挟まります。どう考えてもあかんやろ。

そういうのは、自己肯定感の低さとか、承認欲求の強さからきているとも思っています。

そして、それらのことから、鍵アカに作品を上げる度に、自分の正気度ロールが発生します。その正気度ロールというのが、反応が貰えたかどうか、に掛かっていて、大抵、何が描きたいのか分からなくなります。

わたしはそれを防ぎたい。

作品以外は上げない、と決めることも、わたしにとっては現状、難しいです。

それから。

いくら鍵を掛けたところで、フォロワーさんは友達ではありません。交流を経て友達になることはあっても、それはごく一部です。友達との酒の席や、チラシの裏に留めておくべき話を、鍵アカに書きたくありません。それは作品への批評を超えた、一時の感情による否定などです。ファンの間での、ギャグで済まされるかも。でも、そのコントロールは、わたしにとって非常に難しいと思います。

最後に自分のスペックの話をするのですが。

わたしは、初めて同人誌を出した日から20年くらい経ちました。アンソロ主催や、プチオンリー主催、オフ会主催など、色々経験してきました。

現在は、どこかの動画チャンネルの絵コンテやサムネイルを描きながら、個人の方からのご依頼を受け、趣味でファンアートを描いています。

自分に自信が全くないので、子供が読者投稿欄にハガキを送るくらいの気持ちでファンアートを描いています。感想を公式様方に届けるのがメインであって、わたしのファンアートはおまけです。

自分の活動方法を全否定された記憶があるので、未だに傷が癒えずに、生来の性格も相まって、かなり色んなところで神経質になりがちです。

その上で、どうしても、届く形で応援したいと思って、感想を書いたりしています。

それでもやっぱりわたしはおしゃべりなので、人と交流したくて話し掛けてしまう……そこでまた悩むというループを定期的に繰り返していますが、やはり最優先は、好きな作品の応援です。

こんな奇怪な文章を最後までご覧いただいてる方は、多分、わたしくらいよっぽど奇怪な方だと思います。

わたしは誰とでも仲良くなれるような器用な人間ではないですし、難解な思想を持っている方だとは思いますが、もし、わたしの作品とか、普段のツイートで、『話し掛けたいけど話し掛けていいか分からない』と思われるようなことがあれば、わたしは常時、『話し掛けていただけると嬉しい』側の人間です。

出来る限り友好的にお返ししたいと思います。とはいえ、ご挨拶はほしいし、敬語でお話してほしい、名前も勝手にあだ名を付けず、さん付けで呼んでほしい。そこを守っていただけた時に、わたしはすごくおしゃべりな人になってしまい、それで驚かせてしまうことがあるみたいです……。逆に、初見呼びタメだと塩対応になって、それはそれで驚かせることもあるみたいです

わたし自身は、話し掛けたいと思ったけど、ご迷惑かも知れない、と思って、全力でブレーキを掛けて話し掛けないことがかなり多いです。でも、わたしは人様より大分やかましいみたいなので、全力ブレーキが正解なのかも……と最近は思います。

長くなりましたが、ゾーニングの話と、それに関連するわたし側の事情の話でした。


20230811

AviUtl触り始めたものの、覚えるならプレミアプロ導入した方がよくない?になってる。
サブスク管理~。